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Episode 04
Andrew Gray McDonnell
南カリフォルニア発のサステイナブルなクロージング・ブランド「アウターノウン」のイメージを体現しているのは誰か。コ・ファウンダーのケリー・スレーターと答える声も多いかもしれないが、リアルなライフスタイルでの着こなしから、ブランドのモデルを務めるアンドリュー・グレイ・マクドネルがもっともアウターノウンらしいようだ。クリエイティブ・ディレクターのジョン・ムーアがいうのだから間違いない。アンドリューは世界をサステイナブルな方向へ導こうとするストーリーテラー。アウターノウンと同じビジョンを描く彼の存在は実にユニークだ。
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マリブのサーフポイントの西に、長大なサンタモニカ湾の北端にあたるポイント・デュームがある。かつては草木も生えない風の強い断崖絶壁の岬だったが、その後開拓が進んで徐々に戸建の家が建ちはじめた。近年はそうした家も減り、セレブリティが住まうオーシャンビューの大邸宅が並ぶ高級住宅地として知られている。パシフィック・コースト・ハイウェイ(州道1号線)から海に突き出した岬の住宅エリアはとても静かで、さしずめマリブの奥座敷といったところ。住人たちだけが使えるプライベートビーチもある。そのため企業のオーナーや、バーバラ・ストライサンド、マット・デイモン、ジュリア・ロバーツといったハリウッドスターたちが居を構えている。そんなセレブなレジデンスにアンドリュー・グレイ・マクドネルの家はある。「もっともアウターノウンを体現している男」としてクレイティブ・ディレクターのジョン・ムーアお気に入りの人物だ。
アンドリューの家はセレブリティたちの豪邸とは違って、古き良きカリフォルニアの雰囲気が漂う平家の住宅だった。彼は長年にわたり数多くのアメリカを代表するブランドの顔を務めてきたプロフェッショナルのモデルだ。いまはアウターノウンのブランドを象徴する存在である。サーファーでもある彼のルックスは、なるほど実にカリフォルニアっぽい。実際にもっともヴェニスっぽいモデルと評されたこともあった。少しだけ俳優としての経験もあるものの、彼は根っからのモデルだ。そのキャリアは子ども時代に遡る。
「私はフロリダ半島南西部の海沿いの町で生まれ育った。小さいころから多くの時間を水のうえで過ごし、海のアクティビティからすごく刺激を受けてきた。そしてサーフィンとそのカルチャーに憧れていた。地元の海はあまり波が立たないので、私と兄はボートで人工的に作ったウェイクボーディングの波でサーフボードに乗っていた。いっぽうで12歳のときから夏のあいだだけモデルをするようになった。ニューヨークのエージェンシーと契約し、アメリカを代表する大手アパレル・ブランドのキッズモデルをしていたんだ。これが僕のモデルとしての第一章」
大人といっしょにショーのランウェイを歩いたり、ブランドのオーナー・デザイナーとクロージングのフィットについて語りあったり、とても早熟なティーンだったという。高校を卒業するとノースカロライナ州の大学に進学。同州のサーフィンのメッカ、アウターバンクスで本格的にサーフィンと向きあうようになる。学業に専念するためにモデルの仕事を辞めるが、それまでにキッズモデルとして成功していた彼は自分で学費を払うなど、18歳にしてすでに自立していた。そんな彼の憧れは、ずっとカリフォルニアだった。
「大学卒業後、アウターバンクスからカリフォルニアまでの4,000マイルを6週間かけて自転車で横断することにした。”Bike and Build”というNPO団体のプログラムに参加し、アメリカの住宅問題への関心を高め、人々の意識を啓発することを目的とした資金集めのために走った。そうやって私はカリフォルニアにやってきたんだ」
”Bike and Build”は、低所得者層が家を持てないというアメリカの住宅問題を改善するために、若者たちがチームになって自転車で移動しながら、出会った人々にそうした問題を訴えかけて啓蒙活動を行う団体。サポートしてくれるコミュニティにより食事と宿泊が提供され、ときには住宅の建設を手伝うこともある。多くの人の関心を高め、資金を集める自転車での大陸横断。これが彼がカリフォルニアに来るために選んだ方法だった。人々に語りかけて問題意識を喚起するこの経験は、アンドリューのその後のストーリーテラーとしての人生につながっていく。
カリフォルニアに来たアンドリューはヴェニスに落ちつく。映画の製作やマネージメントなどのエンターテイメントのビジネスの世界で働くが、髭にロングヘアーでエネルギーに満ち溢れた20代半ばの彼には、つねに「うちのブランドの象徴になってほしい」というモデルのオファーが絶えなかった。彼はそれらをすべて断っていた。どうせモデルをやるなら自分のルックスを活かすに相応しいブランドを自らの意志で選びたかったからだ。
「サーフブランドを探そうと思った。最終的に出会ったのは1970年代に一世を風靡したサーフブランド。彼らがブランドの再構築をしたときだった。そのころから潮っぽくてヴェニスっぽいといわれ、クールなカリフォルニアのイメージをミックスさせたいと思っているブランドや老舗ジーンズ・ブランドなどのモデルに起用されるようになり、再びモデルとしてのキャリアは軌道に乗っていった。これがモデル人生の第二章」
明らかにアンドリューは、ただ服を着て笑顔でポーズをとるだけのモデルとは違う。彼は関わるブランドをもっと深く理解し、その理念に共感して、自分の肉体でブランドのストーリーを語ることができる稀有なモデルだ。彼自身、実際に話がとても上手で、人を惹きつける魅力をもっている。
憧れのカリフォルニアでモデルとして脂がのってきたちょうどそのとき、友人を介して彼はジョン・ムーアと出会う。それはアウターノウンがローンチするタイミングだった。ジョンは彼のことをニックネームの“パンサー”と親しみを込めて呼ぶ。
「パンサーは初期のアウターノウンのモデルのひとりだった。ときとしてモデル選びは難しい。よく服が似合っていても、モデルによってはライフスタイルを体現していなかったりするからね。しかしパンサーは私たちと同じ情熱をもっていたためか、最初から彼の存在はブランドに自然に馴染んでいるように感じられた。私たちはいっしょにサーフィンに行くようになり、親友になった。彼はとても瞑想的な人で、まわりを落ち着かせる力をもっている。そしてサステイナビリティにも情熱を注いでいて、私たちと共通の目標を共有している。パンサーと彼の家族は素晴らしいよ。彼らはとてもユニークで人に影響を与えるような生活を送っているからね」
ジョンは、アンドリューをアンバサダーと定義するには抵抗があるという。なぜなら彼はただのモデル以上の存在であるだけでなく、アンバサダーとは別の次元でアウターノウンと深いところでつながっているから。ジョンの親友であると同時に、アウターノウンの盟友でもあるのだ。
息子が生まれたことをきっかけに、アンドリューは子育てにフルタイムで関わりたいという思いから、一時期モデルの仕事を休業する。その子育てがひと段落したとき、彼はジョンに電話をかけ、再びモデルに戻ることを告げる。
「あのときのジョンの喜びようといったらなかったよ。私は何年か父親としていろいろ学び、コロナのパンデミックも経験し、それなりに年輪も重ねてきた。いま第三章としての自分自身をブランディングし直しているところ。アウターノウンとは間違いなく仕事以上の関係。いつも彼らは私を鼓舞してくれて、私も彼らの助けになりたいと思っている。つねに私は独創的な考えや思いついたことをアウターノウンとシェアしている。たとえば“FInd Your Outerknown”を見つける一番の方法は何か? それは内なる自分に向かうこと。そうすることですごくクリエイティブで情熱的になり、やりたいことを外向きに考えるようになるから。私は世界がサステイナブルな方向に向かうことに好奇心旺盛であってほしいと願っている。人々がそういう気持ちになるように手助けしたい。そのために私は自分の思いをエネルギッシュに語るんだ」
アンドリューはストーリーを語り、人の心を動かすことにとても秀でている。それが世の中を良い方向に導く手段であることもわかっている。それはいま、彼のライフワークになった。
ポイント・デュームにはセレブな芸能人も含めてたくさんのサーファーが住んでいる。アンドリューがふだんいっしょにサーフィンしているそうしたサーファーたちのコミュニティは、つねに海のことを気にかけている。彼らとつながっているセレブリティや大きな影響力をもつノンサーファーたちも同様だ。彼らこそが、アンドリューが語りかける相手である。つねに海洋環境の問題を解決することの助けになりたいと思ってきた彼は、ベンチャービジネスに投資する会社の顧問も勤めている。具体的には循環型経済社会の実現に前向きな社会的責任のある企業のために資金調達をする手伝いをしているのだ。
「自分が信じている素晴らしい企業やブランドと今後もっと関わっていくだろう。彼らを手助けすること、資金を調達すること、世界の海洋問題について発信するようにセレブリティに促すこと、それがいま私が力を入れていること」
欧米では環境保護意識の高まりとともに、気候変動対策に積極的な企業へのエシカル投資が一般的になりつつある。アンドリューは、まだ環境面に支援していないセレブリティたちの意識を高め、彼らに海洋環境を改善する企業やプロジェクトへの投資を呼びかけ続ける。
いま世界中の企業やブランドが彼にコンタクトしてくる。たとえば電動モペットをデザインしている会社や電動のジェットスキーを開発している会社など。彼らはどうすれば世界に自分たちのプロダクトを広められるか、市場を拡大することができるかを尋ねてくる。彼は自分が信じられると思う企業やプロジェクトに代わって多くの人にストーリーを語っていく。熱い思いで信じている彼の言葉に嘘はなく、説得力がある。
「ブランドがモデルとしての私にアプローチするように、企業は影響力のある人につないでほしくてアプローチしてくる。両者の橋渡しをするのが私の役割り。その結果とても多くの人がたくさんの持続可能なアクションに関わってくれたことを誇りに思っている。私は自分が信じることに情熱をもって取り組んでいる。大事なのは実践することだ。以前ジョンと、どうすれば完全にサステイナブルになれるか話したことがある。実際それが難しいことはわかっているよ。でも私自身は、どのように環境を守れるか、いかにサステイナビリティに近づけるかを日々実践している。それを見た周りの人が素敵なことだと気づき、真似してくれることを望んでいる。それぞれが高い意識をもって独自に持続可能な行動を実践することが必要だからね。大切なものが見えている人が正しい判断をしていけば、世界はさらに良い場所となるだろう」
フロリダ時代からずっと海とともに生きてきた彼の海への想いは深い。アプローチの手法は違っても、アンドリューとアウターノウンが最終的に目指しているところは同じだ。可能な限りサステイナブルな世界に貢献できる存在でありたいと語るアンドリューに、アウターノウンのクロージングはとてもよく似合っていた。
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photo & text◎Takashi Tomita
direction◎RHC Ron Herman
Special thanks◎OUTERKNOWN
※こちらの記事は2022年6月に行われた取材を基にしています
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