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自分らしく歩き続ける男たちを紹介する誌面連動企画「KEEP WALKING presented by Johnnie Walker」、第2回目はジャズ・ギタリストとして活躍する小沼ようすさん。ミュージシャンとしての現在の心境、プロを志すまでの映画のような歩み、そして、サーフィンが音楽に与えた影響……たっぷりと語っていただきました。
* * *
──2020年は世界的に揺れた一年となりました。小沼さんはどう過ごしていましたか?
O ロックダウンの最中は、皆さんと同じく僕もサーフィンを自粛していました。僕自身はミュージシャンとして、こういうときこそ何かを生み出そうと考えましたが、実際のところはどこか悶々としていて、大きなことはできませんでした。
でも自宅で常にギターには触れていて、色んな意味で音楽に救われていたと思います。自分なりに現実と向き合って、次のステップへ進むための道中だったんでしょうね。
じつは新型コロナの影響がなかったら、2020年はソロアルバムを出そうと思っていたのですが、延期しました。大きな自粛期間を経たあと、自分が作っていた楽曲をあらためて聞いてみて、どこか違和感のようなものを感じたんです。
ソロアルバムには僕のこれまでの経験など、さまざまな気持ちをギターに込めるつもりでしたが、僕の感覚も変化していました。それを言葉にするのは難しいですが、今はよりシンプルになって、作ってきた音源を磨きなおしている真っ最中、という感じです。
そう考えると、2020年は僕にとって磨く時間、だったのかもしれません。
──自身の経験やライフスタイルの変化は、やっぱり楽曲に表れるものですか?
O はい。僕がサーフィンを始めたのは2006年なのですが、そのあたりから自分の経験が音にも表現されるようになっていった気がします。
たとえば、音楽を聴いていて突然アレンジが変わると、なんだか突拍子もないこと、自然な流れじゃないことのように感じますよね。でもサーフィンをしていると、いきなり風向きや空模様ががらっと変わって、大荒れになることもあれば、綺麗な夕陽に巡り会うこともあります。
混とんとした世界がぱっと美しくなるとか、急にリズムを変えてみるとか、そんな変化を音に落とし込むのも、じつは説得力のある表現だと思えるようになりました。
──まさに経験が教えてくれたこと。サーフィンの影響、大きいんですね。
O そうですね。自粛期間後に海に入ったときは感動的でした。干からびていたものが再び潤っていく……まさにそんな感じでしたね。
──ライブはできていますか?
O さまざまな変化がありながらも、ラッキーなことに配信を含めてギターを弾く機会は得られています。
もちろん現場では対策が必要ですが、こんなときでも僕のギターを聞きたいと思ってくれる人がいることに本当に救われたし、支えになりました。心を込めていいものを提供したいなって思いますよね。
オンラインで配信するライブも新鮮で、視聴者の気持ちがリアルタイムで文字になって届くというは新しかったです(笑)。そんな風に思ってくれていたんだ! って。
──ライブがない日はどう過ごしているのですか? 朝型? 夜型?
O 波があればサーフィンして、それ以外の時間はギターの練習や、ライブに向けて楽曲をブラッシュアップする、というのが理想ですが、あくまで理想です(笑)。
音楽をやっていると、どうしても夜型になっていっちゃいます。ライブも夜だから帰宅も遅いし、ツアー後は心も体力も使い果たしていて、なかなか起きられません。
でも、そんなときでも波があって朝海に入ると、すごいご褒美をもらった気持ちになります。やっぱり朝日を浴びると調子がいい。そんなリズムの繰り返しです。
──いったい一日どれくらいギターを弾いているんですか?
O 気づくと7~8時間は弾きっぱなし、という日もありますね。でも、最近はまったく弾かない日もたまに作るようにしています。昔は煮詰まっても毎日弾いて、自分を追い込んでいましたけど、最近は散歩したり、海へ行ったり、すこしギターから離れる時間をつくったほうが、いいリズムが生まれると感じています。
――7~8時間も! たしかに何事も距離感というのは大事かもしれませんね。小沼さんがギターをはじめたきっかけを教えてください。
O 父親が昔趣味でやっていたギターが家にあって、それを弾いてみたのが最初です。中学生2年生のときだから、14歳ですね。
あまり人前に出たがる明るいタイプではなかったけど、なにか人とちがうことがしたいという思いはあって、その悶々とした思春期の気持ちをすくいとってくれたのがギターでした。これで自分を表現できる、って。
当時はバンドブームで、最初に真似たのはBOOWYでしたね。幸運にもドラムを担当していた同級生の実家がインテリアショップで、その倉庫に入り浸ってました。
――プロを意識しだしたのはいつ頃ですか?
O 中学の卒業文集で「ギタリストになりたい」って書いてあるので、早かったです。
当時、親が買ってくれたエレキギターを家で弾いていたら、家の修復工事のために大工さんがやってきて、そのひとりがものすごくギターが上手な人でした。僕が弾きたい曲をすべて弾けて、ヴァン・ヘイレンなど洋楽のロックもお手の物。「すごい人がいた!」って興奮してすぐ親に伝えましたよ。
その人は大工のアルバイトをしていた大学生で、親が「息子に勉強を教えてくれないか」と言ってくれて、以来、僕の家庭教師になってくれました。その人には本当にいろいろ教えてもらいました。勉強はもちろん、音楽のこと、ボーリングやビリヤード、ちょっと背伸びした大人の世界を覗かせてくれたり。そんな日々を通じて、自然とギタリストになりたいと思うようになっていきました。
――それは素敵なストーリーですね。
O 高校時代には、その人のバンドの前座に出してもらったりもしたんですよ。その時はもう家庭教師ではありませんでしたけど。
高校時代はさらにギターにのめり込んでいったのですが、同時にバイクにもはまって、事故っちゃったんです。左腕を骨折して入院して、しばらく学校にも行けないし、ギターも弾けなくなりました。手術後に少しづつ手が動くようになっていく時間で、もし再びギターが弾けるようになったらプロを目指そうと決意して、しばらくして高校を中退しました。僕にとっては分岐点のひとつですね。
――そんなことが。小沼さんの柔らかい印象からはちょっと想像しづらい青春時代です。プロというのは、ソロとして? バンドとして?
O まだバンドともソロとも考えていませんでした。その後、同級生たちが高校を卒業するくらいの時期に、僕も実家の秋田を出て東京の音楽専門学校へ行きました。ロックからジャズに方向が変わっていったのはそれからです。
ある日、学校の授業でアドリブで即興演奏をする機会があったのですが、ぜんぜん弾けなくて。悔しくてかなり落ち込んでいた時期にたまたま秋田の実家へ帰ると、父が知ってか知らずかジャズを流していて、それがまさに自分が弾きたかったリズムだったんです。ジョージ・ベンソンでした。
「あ、これだ」と思って、そこからジャズにはまっていきました。ジャズの歴史や奏法なども学んで、自分なりにいろんなものをミックスしながら自分のオリジナル曲をつくるようになって。
――ジャズ・ギタリスト、小沼ようすけの原点ですね。
――僕のような素人はボーカリストがいる音楽の方が聴きなれています。小沼さんがそういった音楽を選ばず、ソロのジャズ・ギタリストとして生きる道を選んだのはなぜですか?
O ギターが大好きで、ギターだけでいいな、と思う自分がいたのは確かですね。
自分で歌ったみた時期もあるんですよ。でも、どうしてもギターに集中してしまう自分がいました。
僕にとっては、ダイレクトに歌や歌詞で気持ちを伝えるより、ギターの方が流ちょうに話せるんだなって、思ったんです。“うれしい”という4文字を、言葉ではなく音として表したり、言葉になる前のもやもやを、ギターの音色で聴き手の心に届けられたら。受け取り方は人それぞれでいいんです。僕がつま弾く音を感じて、それが感想として言葉になって返ってくると、とてもうれしいです。そういう解釈もあるんだな、って。
そういうフィーリンのやり取りは、もしかしたらサーフィンとも通じる部分があるかもしれませんね。
――ギターとサーフィン、似てますか?
O フィーリングもそうだし、道具と一体になる、という部分も似てますよね。ギターもまた手だけじゃなく全身で表現するものだし、どちらも“のる”ための道具です。
あと、練習やイメージではすごくうまくいくけど、いざ舞台にたつと頭が真っ白になるのも似てるかな(笑)。夢中になっているときの時間の流れ方や、ひと筋縄ではいかないところが近いんでしょうね。
そして、どちらも経験を重ねるにつれて、少しづつ視野が広がり、見える世界観も拡がっていきます。
――なんだかサーフィン目線で、ギターの世界にすこし触れられた気がします。たとえばショートボードとロングボード、それぞれをイメージながら小沼さんが音楽をつくると、ちがうものになるのですか?
O どうだろう。僕はロングボードの経験がゆたかではないけど、ロングボードって絵的にはメロウな感じが似合いそうですが、実際にやってみると、静かな所作で大きなボードを動かしますよね。ちゃんとしたスポットにいないと正しくコントロールできないし、じつは必要なエネルギーも大きい。嘘がつけない感じがします。
僕は普段ショートボードが多いのですが、こちらの方が瞬間瞬間でアグレッシブに反応していくような、即興的なものが浮かびますね。
――感覚に長けている人の描写は豊かだなぁ。小沼さん自身、サーフィンと出会ったことで作る音楽に変化があったのですか?
O それは如実に表れていると思います。音のリズムと波のリズムを、同時に表現したくなりました。はじめたての頃は美しい瞬間ばかり思い浮かべていたけど、サーフィンってそれだけじゃなくて、喜びと同時に苦しい気持ちとか、荒れた海とか、さまざまな瞬間や感情を表現したくなっていきました。
そして、自然とあまり考えすぎないほうが素直に表現できるのかなって、最近は思います。
――サーフィンのきっかけを教えてください。
O 2006年に湘南に引っ越したのがきっかけです。今もお世話になっている「axes surfrage」の方がライブに来てくれて、すぐにサーフィンを教えてもらいました。
サーフィンにはずっと興味があったんです。そのきっかけは今はなき佐久間洋之助くんが備えていた特別な空気感に出会ってから。芯はある、でも外は柔らかい。それはサーフィンによるものなのかな、って。
――湘南に住もうと思ったのはなぜですか?
O それまでは東京に住んでいて、アルバムも5枚出して、やりたいことをひと通りやってきたからか、わりと悩んでいた時期でした。音楽三昧で夜中までギター漬けだった日々や、マンネリを感じている自分をどうにか変えたかった。
で、僕の名前のようすけの「よう」は、漢字にすると太平洋の「洋」が由来で、ずっと海が好きだったし、落ち込んだときにドライブするのも葉山だったから、思い切って湘南に引っ越したんです。最初は葉山へ、その後は湘南エリアを転々とし、現在は藤沢市におちついています。
それからたくさんの縁に恵まれて、サーフィンとも出会い、ライフスタイルが180度変わりましたね。
――ミュージシャンという生き方は、生みの苦しみに直面する機会がどうしてもありそうですね。
O そうですね。もがいたり、うまくいかなくて演奏が荒れたり、ギターがきらいになりかけたこともありました。2006年当時もそんな時期だったんですよね。カレントを逆走しながらパドルアウトして、漕いでも漕いでも沖にたどり着けないような。
それはいま思えば、自分探しの最中だったのだと思います。なにかを本気で突き詰めて、自分なりの確固たるものを見つけるためには避けて通れない部分なのかもしれません。
だから、僕にとってサーフィンはすごく大きかった。難しく考えていたものが、すごくシンプルになったというか、ぐちゃくちゃに絡んでいた糸が、すっとほどけていく感じでした。思考もすごくポジティブになれましたし。
もちろん今でもへこむことはあるけれど、あの時よりは冷静に考えられるようになりました。海へ行けばリセットできるし、ひきずっていてものを調整できる。出会えてよかったって本当に思いますね。
――たまにサーファーが集うイベントで弾かれることがあると思いますが、普段のライブとはかなり雰囲気が異なるのでは?
O たしかに! 僕のギターを聴いてくれたあとに「いい波乗ってたね!」と言ってくれたりします(笑)。僕のギターを聴いたり弾く姿を見て、波を感じてくれたのなら、すごく素敵なことですよね。
――すこしお酒のお話を。お酒はよく飲みますか?
O あまりお酒に強くないこともあって、家ではそこまで飲みませんが、ライブで地方へ行くと、その土地のお酒をちびちび飲みます。
どちらかというと、ビールなどをぐいぐい飲むより、度数の高いお酒をゆっくり飲む方が性に合っている気がします。
――今日のハイボールはいかがですか? 200年続くジョニーウォーカーというウイスキーがベースです。
O すごく美味しいですよ。すっきりしててお酒が強くない僕でも飲みやすいです。200年の歴史かぁ。ブルースが似合いますね。
――くー、お酒に合う食じゃなくて、音楽が出てくるところがかっこよすぎます。
O かつて禁酒法の時代、お酒が飲める地下の闇のバーでミュージシャンが演奏していた、なんて歴史もあるんです。ジャズが進化していく過程で。
お酒とジャズが密接な関係にあったことは歴史が物語っているんですよ。だからジャズやブルースを聞きながらお酒を飲むって、いい時間の過ごし方だと僕は思います。弾き手の僕は飲みながらだと演奏できなくなっちゃいますけどね(笑)。
――最後の質問です。「つづける」って、じつはすごく難しいことのひとつだと思うんですが、壁に直面したとき、小沼さんはどう抜け出しますか?
O 自分ひとりで抜け出すのは難しいと思います。友人だったり、作品だったり、もともと好きなものだという根っこを思い出させてくれる、出会いやタイミングを大切にすることでしょうか。
音楽と悩みはつきものですが、僕の場合は「バランス」というのが最近のキーワードです。自分の音楽性と世の中のバランスをはじめ、音楽も人生も、常に同じところにいることはできなくて、さまざまなバランスが存在します。動きつづけるものだから、当然くずれることもあるけれど、くずれてもちゃんと立て直せる力を養っていけるよう、物事に取り組んでいきたいですね。
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presented by Johnnie Walker
撮影協力:8HOTEL http://8hotel.jp/
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