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Diary

Keep Walking vol.03 駿河太郎

Keep Walking vol.03 駿河太郎

 

 

Keep Walking

presented by Johnnie Walker

 

 

いつでも自分らしく歩き続ける男たちを紹介する誌面&ウェブの連動企画「KEEP WALKING」。第3回目に登場するのは俳優の駿河太郎さん。出会うなり、海沿いの駐車場でおもむろに見せてくれたのは、シェイパーと一緒にアイデアを出し合って開発したという真新しいミッドレングスだった。

 

* * *

 

「20代はずっと売れないバンドマン」

 

──わ!かっこいいサーフボードですね!

 

S フィンガーシェイプの横山浩太くんと開発したミッドレングスです。巻きは6×4×6でボランのフィンパッチを入れてあります。

 

──6×4×6とは、デッキを6オンスと4オンス、ボトムを6オンスのクロスでラミネートしていることですよね!?

 

S そうです。レールの落とし具合などもこだわり、試作を含めて3本目でようやく納得の形になりました。

 

──駿河さんが、サーフィンが大好きなことはよーくわかりました(笑)。ところで、現在俳優として大活躍されていますが、デビューが30歳のころだとうかがいました。比較的ゆっくりなスタートだと思ったのですが。

 

S まさか自分も俳優をやるとは思ってなかったんです。20代はずっと売れないバンドマンをやっていましたね。

 

──ジャンルはちがえど表現を続けているんですね。

 

S 音楽とはたまたま出会って好きになり、ずっと続けていました。

俳優になったきっかけをくれたのは、僕が音楽をやっているときから一緒にいたマネージャーです。僕が27〜28歳くらいのときに「俳優やりませんか?」と彼が声を掛けてきて。

でも、そのときは音楽を本気でやってたから「いや、いいです」と断ってた。だけど、その後も2年間くらい誘い続けてくれたんですよ。

 

──ミュージシャンとして、メジャーデビューもされていたんですよね。そのなかでじょじょに気持ちが変化していったのでしょうか?

 

S はい。音楽を10年以上やっているさなかで本当に紆余曲折ありました。若いときは勢いだけで「自分が一番や!」って思ってやっているじゃないですか。

でも長く続けていると、同じ道を志す他の人を認めだす。当時ラッドウィンプスとか、才能あふれる20代前半のアーティストがたくさん出てきました。秦基博くんとかもそうやけど、すごいアーティストを目の当たりにして「オレ、こいつらと一生同じフィールドで勝負していかなあかん」と考えたら、ちょっと心が折れたんですよ。音楽に対して。

 

──そんなときにマネージャーさんの誘いが救いになった。

 

S 2年も誘われると、本気だと信用できますしね。それまではミュージシャンとして自分発信の表現をしていた。

でも俳優って、人から求められたことをやる職業。そっちもやってみようと思ったんです。そういう職業もおもしろいなと思って。

ただすぐには音楽を辞められないから、並行しながら始めました。役者になったからってすぐに仕事があるわけじゃないし。僕も30歳だったし、そんなことはもちろんわかっていたから。

 

──実際に役者としてのスタートはどうだったんですか?

 

 オーディションを受けれど受けれど、ぜんぜん受からへん。僕を誘ってくれた人もマネージャーとしての歴は長かったけれど、役者を育てるのは初めてだったんですよ。お互いに右も左も分からないから手探りでした。

僕もバイトしながら音楽をやりつつ、マネージャーがもってきてくれたオーディションを受けつつ、みたいな感じで。最初はふたりでよう現場で怒られてましたね。知らんことばっかしなんで。

 

──バイトもやりながらだったんですね。

 

S 34歳くらいまでガッツリ週6~7日バイトしてました。

 

──たとえばどんなお仕事をされていたんですか?

 

S いろいろやりましたよ。東京に出てきたばかりの頃は自由が丘の酒屋で働いてました。そのあといちばん長かったのはメッセンジャー。まだピストバイクがブレーキいらんときに1日12時間くらい走ってました。あとはイタリアンレストランとか。

でも金稼ぐのに接客業は向いてなかった。人に気を使って金を稼ぐのはしんどいなと思いました。日雇いもバンバン行きましたよ。それで最後はコールセンター。融通がきいたんで。バンドやってるときも、俳優をやり始めても、朝ドラが決まるまではやってました。

 

──そうして今の駿河さんがあるんですね。マネージャーさんはどうしてそこまで根気強く誘い続けてくれたんですかね?

 

S なんでですかね。言ったら30歳っておっさんではないけど、いい歳ですよね。

そのマネージャーは当時40半ばくらいで、おっさんがほぼおっさんをずっと誘ってたわけで……今となってはわからないんです。彼は一昨年ガンで死んじゃったんですよ。

 

──かなりの紆余曲折があったんですね……遅咲きの駿河さんの強みって、なんだと思いますか?

 

 いろんな経験をしてきたことかな。いろんな景色を見てきた。

たとえば日雇いの仕事では朝6時に芝浦に集合して、ひとつのハイエースにいろんなタイプの人と乗らされて、工場地帯みたいなところに連れてかれて、そこでパレットの上に乗ったビールケースをでっかいラップでひたすら巻き続ける、なんてこともやりました。

芸能界しか知らない子とはちがう経験をいっぱいしてきたんで。それはたぶん、強みっちゃ強みかな。

 

──たしかにすごくリアルな経験ですね。

 

 好みですけどね。自分発信のようで自分発信ではないので、俳優って。良い悪いは観た人が決める。

現場だったら監督がオッケーだったらオッケー。人が求めているものをどう出すかというだけで。

でも僕はリアルな芝居が好きなんで、そこに自分にしか表現でけへんものが映ればいいなと思ってやってます。それを求めてくれる人たちが増えてくれればいいなと思いながら。

 

──自分なりの何かを出そうと?

 

 出そうとは思ってないです。「自分の個性をがんばって出そう」っていう気持ちはまったくない。けっきょく俳優って本人の人柄しか出ないと思ってるから。それが観る人によっては個性として映ればいいなという感じでやってて。

もちろん役柄によって歩き方だったり、たたずまいだったりの演じ方は変えます。背筋を伸ばしたり、かがめたり、大股で歩く、小股で歩く、内股で歩くとか。

 

──演技には自然と人となりや個性がにじむということですね。

 

 ふだんの僕の生活は、芸能界にいる多くの人とはだいぶ違うところにあると思います。それこそサーフィンをするし、スノーボードではハイクで山に登ってバックカントリーに行ったりもするし。自分の小ささや身の程を知っているというか。自然とつねに相対しているというのは、自分の身の程をある程度わかったうえで、そこにいるということ。

それが個性に結びついて認められれば嬉しいとは思うけど。それもまた観る人や使う人の判断で、その個性が好きっていう人もいれば、嫌いっていう人もいます。

でも、そんな個性を好きって言ってくれる人の絶対数をどう増やすか、っていうのを考えて仕事してきてるかもしれないです。たまにめちゃくちゃ嫌われるときありますけど(笑)。

 

──嫌われているとわかるときもあるんですね。

 

 無理できひんから。空気感的に、この人はおだてたほうがいいんやろなとわかるときとか、あるじゃないですか。でもまったくできない。そこにイラっとする人がたまにいるかな。「なんなのあの子」みたいになるときもある。

でもそれはそれでいいかなと思ってます。誰に対しても一緒でいたいんですよ。

 

 

B_Bluemag_Pero

 

 

「自然に包まれていると、身の程を知れるんです」

 

──サーフィンを始めたのはいつですか?

 

 車を買ってからなんで、34~35歳くらいです。まだ10年も経ってない。しかもサーフィンをはじめる以前から痛めていた脊椎の手術をせなあかんくて、間に2年くらいブランクがあります。

手術するまで2年くらいサーフィンをやっていたんですけど、最終的に片手でテイクオフしてました。それでも海に行ってたんですよ(笑)。最初に足が痺れだして、階段もまともに歩かれへん状態になってきて、これは手術せなあかんって。バランスが取れへんからうまくならないですよね。

でも復活して、この4年半くらいはずっぽしサーフィン。やっと自分でも「ちょっとはうまなったかな?」となってきたくらいです。

 

──どんなボードで始めたんですか?

 

 ロングボードです。ロングボードとかミッドレングスって、サーフボードが芸術品の域に達しているじゃないですか。その「なんか綺麗やな、かっこいいな」っていうのが、ショートボードにはあまり感じられなかったんですよ。

歳いってから始めてるし、ペラペラのショートボードに乗るのは無理だとも思ってたし。いちばん初めに買ったのは、濃いグリーンとサンドカラーの太いストライプのどこのブランドかわからへんロングボードで、見た目はめっちゃクラシックなんですけど、めっちゃ軽い板でした(笑)。

 

──ふだんはどれくらいの頻度でサーフィンしてますか?

 

 週1~2回は行ってるんじゃないですかね。一週間以上空くと、海に行きたくてウズウズします。でも毎年、冬場は雪山も攻めたいから、バランスを見ながらやけど。雪が降って寒くなるときって波も上がるから、どっち取ろうかな? と考える。こういうときに仕事が入っていると割り切って「午前中だけ!」って海を選びやすい。山は朝だけでは行けないから。

 

──現在は都内にお住まいとのこと、海沿いに住むという選択も?

 

 僕は海沿いに住んだらダメ人間になる。毎日海におると思うから。

利点は絶対にあるんですけど、仕事を考えるといまのバランスがいい。海に向かう時間は、ひとりになれる時間なんですよ。子どもがふたりいて、犬もいて、嫁もいて、となると、家でひとりの時間を持つのは難しいじゃないですか。千葉とか湘南に行く1〜2時間を使ってセリフを覚えたり、作品とどういうふうに向き合おうかと考えたりする。

だから移動時間も苦じゃない。静波とか伊良湖くらいまでなら日帰りで行きますね。

 

──サーフィンの経験が、仕事に活きることもありますか?

 

S 仕事に活きてるかはわからないけど、生きていくうえで身の程を知れるんですよ。自然の前では人間なんてたいしたことなくて、一瞬で死にそうになる。

でも自然と調和できたときの気持ちよさは格別。「今、めっちゃうまい具合に波を乗り継げた」とか「あそこのセクションでがっつりカットバックして、もう1回戻ってガーッと」みたいな(笑)。理想のライディングだったかも、なんて思って、撮ってもらったビデオ見たらめちゃくちゃ硬いとか(笑)。

そうやって身の程を知れるから奢(おご)らない。昔から人によって態度を変えるのは嫌やから、そうならないようにと思ってはきたけれど、より奢らないようになりますね。

 

──サーフィンって陸にいる自分も成長させてくれますよね。

 

 あと悩みって、サーフィンと出会う前も後も、もちろんあったし、あるんですけど、たいていの悩みは小さいことやなと思うようになりました。サーフィンに行ってリフレッシュしたら忘れてる。だから自然と触れ合えるスポーツは僕にとっては大事です。

とくにこの仕事をしていると、人によっていろんな捉え方をされる。そこをいちいち気にしてもしょうがないのに、そういうことを気にする人らもけっこういるじゃないですか。それこそSNSが発達して、いろんな人がいろんなことを言える環境やし。

でもけっきょくそういうのを発信している人と僕の生活はまったく関係なくて。ただ聞こえてくるだけのことを意識するのはナンセンスだなと思えるようになったかな。

 

 

C_Bluemag_Pero

 

 

「飛び級してないことは、自分がいちばんわかってる」

 

──お父さんは落語家の笑福亭鶴瓶さん。落語家になろうとは思わなかったんですか?

 

 思わなかったですね。小6のときに地元の西宮の新聞が学校に来て「将来の夢は?」とインタビューされたんですよ。周りの友だちは「野球選手」とか「ケーキ屋さん」とか「先生」とか言っているなかで、僕は自分の親がやってる仕事を継ぐと言うことが親孝行やと思った。それで別になりたいというわけじゃなくて言った「落語家」っていうのが新聞に載ったんですよ。

そしたら、それを見た親父が「お前だけは絶対に落語家になんかさすか!」とめちゃくちゃキレたんですよ。今だったらその意味がわかるけど、小学生の僕にはわからない。そこから「絶対に落語家になんかなるか」と、いっさいなろうとは思わなかったですね。僕が落語家になってたら、めちゃくちゃめんどくさかったと思いますよ。

 

──なぜでしょうか?

 

S だって、うちの親父のお弟子さんらの弟子に僕が入るとなったら、兄弟子の方々は今までは師匠の子どもとして僕と接してくれてたけれど、弟弟子として扱わなあかん。兄弟子の方々はめっちゃ気を使う。そんな気を使わせるのも嫌じゃないですか。

じゃあ別の師匠のところに行くとなったとしても、そこでも似たような現象が起きるでしょ。

 

──お父さんがキレた理由はなんだと思いますか?

 

S 僕が親孝行で言ったということも知らんと思うけど、いろんな意味でむちゃくちゃ大変なことだから軽々しく言わずに「どれほどのことなのかよく考えろ」という意味だったと思います。

 

──落語家じゃなくても、どうしてもお父さんの陰を太郎さんに見る人もいるのでは?

 

 他人がどう言おうが、「お前オレの人生知らんやん」って僕は思っちゃいます。みんな物事を「点」で見るんですよ。作品や番組に出ている姿だけを見る。

でも僕とマネージャーは地道にやってきた下積み時代をぜんぶ知ってる。亀みたいなスピードかもしれないですけど、その前からやってきたという自負がある。でも世間的には、パッと出てきたらそうは見えないから、しゃあないなと思うんですけど。

自分が飛び級してないことは、自分がいちばんよくわかってるから、それでいいと思ってます。気にしていた時期もあったんですよ。でもそういうのを全部サーフィンだったり、自然と戯れることで払拭できるようになった。サーフィンに行ったら気持ちいい。スパーンとぜんぶ取れるというか。だから今はまったく気にならないです。もちろん、そのためにサーフィンをしてるわけじゃないですけどね。

 

 

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「自分を大きく見せることも、過小評価もせえへん」

 

──新型コロナは影響ありましたか?

 

S バリバリあって、3ヶ月くらい何もしてなかった。大丈夫かなと思いましたもん。ある現場もラストワンシーンだけ残してずっと止まってしまって、4月の前半で終わる最後の撮影が8月になった。髪型とかつながるかなって心配でしたよ。

 

──お酒は好きですか?

 

S めっちゃ好きですよ。そんなに強くはないんですけど飲みますね。昔から酒を飲んで0時を過ぎるとスイッチが切れるんですよ。すぐ眠くなる。でも毎日飲んでますね。

それこそ新型コロナでステイホームになったときに、家なのにたまに飲み過ぎて、翌朝頭が痛いときもあった(笑)。

 

──今は難しいご時世だと思いますが、人と飲むこともありますか?

 

S 決まった人とだけかな。あまり自分が行きたいと思わない所には行かへんから。「誰々と飲んでるんだけどおいでよ!」とか誘われても「いや、ええわ」って。

「誰々と誰々がいるよ!」とか言われても知らんし(笑)。飲むメンツはほぼ決まってます。嫁も飲むから、ふたりで飲んだりしてますね。

 

──ふだんは何をよく飲まれるんですか?

 

 焼酎をよく飲みます。芋より麦のほうが好きです。

 

──今日はジョニーウォーカーのハイボールをご用意しました。いかがでしょうか?

 

S はじめて飲んだけど、めっちゃ飲みやすいですね。ウイスキーって香りが強くて、鼻にクンってくるのが本当はあまり好きじゃないんですよ。でもスッキリしてるからこれなら飲める。今度からハイボール飲むときはジョニーウォーカーにしよ。

 

──この連載のテーマが「KEEP WALKING」ということで、最後に質問をさせてください。今、世界中が大変なときを迎えています。どんなときもポジティブに歩み続けるために大切なことはなんだと思いますか?

 

 人と比べないこと。もちろん仕事がないときは不安にもなる。そんなときに人を見て「アイツ、コロナ禍でもこんだけ作品やってるな」と思っちゃったら続かないでしょ。気が滅入っちゃう。だから人と比べないで、「自分は自分のペースでいいから」と思う。そうして目の前にある仕事をただちゃんとやることでしか、僕らは生き残れないから。

自分を大きく見せることもしないし、過小評価もせえへん。無理せず、自分をそこに置くことしかやってきてないかもしれないです。それがいいか悪いかは別やし、合っているかどうかもはわからんけど、そういうやり方しか僕はできないから。

 

 

 

presented by Johnnie Walker

1819年創業。ジョニーウォーカー200年の物語

E_Bluemag_Pero

 

photo◎Pero text◎Jun Takahashi
 

撮影協力:きてや 藤沢店 https://kiteya.owst.jp/

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