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― 2023年に競技拠点をオーストラリアから日本に変えるときはどんな気持ちだったの?
ずっと前から考えていたことではあったけど、本当にしっくり来たのは3〜4年前だったと思う。まわりからは「オリンピックがあるから日本に変えたんじゃないか」といろいろ言われたけど、実際にはオリンピックが決まる前からその心づもりがあった。ただタイミングとして、オリンピックに向かう流れの中でリージョンを変えることになっただけなんだ。自分はオーストラリア人でもあり、日本人でもある。そういう多文化のバックグラウンドを持っていて、キャリアの中でふたつのコミュニティを代表できる立場にいる。前半はオーストラリアを代表してきて、後半は日本を代表する。そういうかたちでキャリアを終えるのが、自分にとっていちばん自然で、やるべきことだと思った。
― ほかに理由は?
日本の子どもたちにとってのロールモデルになりたいという思いもあった。オーストラリアにはミック・ファニングやジョエル・パーキンソン、タジ・バロウのようなヒーローがいて、「あのレベルまで行かなければCTには届かない」と思いながら僕は育った。でも日本には、そういうロールモデルがまだ多くない。今は五十嵐カノアがいるし、そこに自分も加わって、日本の子どもたちが「あのレベルまで行きたい」と思える存在になれたらいいと思っている。日本には才能あるサーファーがたくさんいる。ただCTに届くためには、もう一歩の後押しが必要だと思う。そのきっかけになれたらうれしい。
“日本は僕を育ててくれた。
だから、少しでも恩返しができたらと思っている“
― 日本語も上手だよね。
日本には家族も友人もいるし、ファンもたくさんいるからね。自分にとって日本のファンベースはオーストラリアと同じくらい大きい。自分は小さいころから、日本の家庭の中で育ったようなものだった。母は日本のプロジュニアの選手たちを家に泊めて、オーストラリアの試合に出るときの拠点にしていた。そういうかたちで日本は僕を育ててくれた。だから、受け取ってきたものに少しでも恩返しができたらと思っている。それが日本代表になるという決断の大きな理由なんだ。これからもできるかぎり長く、最高レベルで日本を代表していきたい。

― お母さんの教えで「日本らしいこと」と言って思い浮かぶのは?
子どものころから母に言われてきたのは、何かをやるなら正しいやり方で、自分にできる最大限の努力をしなさいということ。いちばん大きいのは「規律」だと思う。つまり、自分の仕事に責任を持ち、やるべきことを続けること。勝つか負けるかは関係ない。できるかぎりのことをやったなら、それでいいという考え方だね。あきらめない姿勢も、子どものころから自分の中に残っている。母は今シドニーに住んでいて、自分はレノックスに住んでいるから距離は離れているけど、トレーニングに向かうときも「やるならきちんとやりなさい」という声が頭に浮かぶ。規律、決意、そしてあきらめない姿勢。そういうものは日本の文化の中に強くあると思うし、自分のキャリアでも大事にしてきたつもりだ。
― 日本で過ごす時間はどう?
すごく居心地がいい。日本の文化についてもっと学べるし、深く入り込んでいけるのがうれしい。日本に来るといつも「家に帰ってきた」ような感覚がある。生まれ育ったのはオーストラリアだけど、日本には幼いころからよく訪れていたし、まさに第二のホームなんだ。娘が大きくなったときには、自分が学んできたことを伝えて、日本の文化の影響も受けながら育ってほしいと思っている。日本代表として戦うようになってから、日本の文化や言葉をもっと深く学びたいという気持ちも強くなった。



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